説目

立教大学理学部山の会OB会のHPです。
会員・現役の皆様への連絡事項を更新します。
管理人:理岳会編集担当
お問い合わせ... rigakukai@gmail.com



2023年5月23日火曜日

連絡通信ありがとう - 高橋正治会員

 連絡通信ありがとう。山の会 創部10周年(1967年)の記念事業として

1) 当会の創部からの山行記録を整理し記録に残す。

2) 連絡通信を発刊する。

3) 海外登山をする。

4) 山小屋を建設する。

が計画されました。

2) については 渡辺 猛さんに引き受けていただき、現在に至っています。

なんと148号まで続いていることはうれしいことです。渡辺さんはワープロのない時代手書きで長い間、担当していただきました。文才のある方で山の会の詩も作詞されたと聞いています。小生がカラコルムに出かけたときは植物・花の鑑定をしていただきました。当時は植物園に勤めておられたが、その後、どうされたか。「連通」を見る度に物静かな姿をおもいだします。

3) につきましては、外貨の規制や技術の未熟でとてもヒマラヤなど思いもよらず、台湾の山に登り帰りの費用は登山用具を売り払って足しにするなどいろいろな案がありましたが、実現しませんでした。

1967年、当会顧問の西川益生さんが、山岳部の山野井さんとヒンズークシュのテリチミール峰に出かけられ、海外登山も身近に感じられるようになりました。

1969年、大顧問の石島渉先生と鈴木茂さんがヒンズークシュに出かれられました。その後、鈴木茂さんはヒンズークシュなど海外で経験を積まれていましたので、更にヒマラヤは身近になり1971年の上間英一さん、舟山修さん、小生のカラコルム山行に続きます。

1973年、鈴木茂さん、加藤典敏さん、竹内俊樹さんがインドの Mt. Shiva峰(6142m)の初登頂に成功しました。その後、海外登山に挑戦する会員がいないことは寂しい限りです。

4) 当時、山小屋、別荘建設は盛んでした。上下に関係なく友人どうしが学び遊ぶ場所が入用であると考えていました。河原 洋さんの友人の山岳部がこの地に山小屋を有していたので、立教の山岳部とも縁があり建てることになりました。建てるのよいが、資金をどうする、地権者の了解が得られず、大変でしたが、部員、会員諸氏の努力により建てることができました。


2) から 4) までよくつづいたものです。立派な連絡通信をみるといろいろな人、場面が思い出されたので


0 件のコメント: